【11月27日(日)】
昭和40年代から木造の建物のまま地元の人達の汗を流し続けてきた「冨士の湯」は役目を終えた。
オリンピックに向けた道路拡張工事のため、立ち退きを命じられていたためである。
都内有数の内装の綺麗さや、吹き抜けの高い天井が特徴的な、地元に愛されていた銭湯であった。
昭和40年代からというのは、「現在の店主の家族が先代から引き継いだ」ということで記録に残っているものであり、実際はもっと昔から人々の汗を流していたのであろう。


【野球と銭湯】
地元の人間である私は、冨士の湯には幼少の頃から時々お世話になっていた。
銭湯好きの母親に連れられて行ったことや、小・中学生時代に入っていた地元野球チームの練習や試合帰りに仲間と一緒に行ったのも記憶に新しい。
小・中学生時代に行く銭湯には、なにかちょっとだけ「特別」な気持ちを抱いていた。
大人の監視の目から解放され、子供同士の”はだかのつきあい”をしながら、他愛の無い話をする。
冨士の湯の温度は、少し熱めに設定されていたので子供達にとって長時間入れるわけではない。

しかし本当の楽しみは、そう、湯から出た後に待っている。

小銭を握りしめて買うコーヒー牛乳や、ラムネ。
私の中では、レモリアという飲み物がお気に入りだったが、いまはもう見かけることはない。
番頭さんがテレビを見ている待合所の椅子に座りながら、飲み物を片手にグダグダと過ごす。
そう言えば、中学生の頃に友達が
「甲子園でピンチになった時にマウンド上に集まってるじゃん?あれって結構くだらないことが多いみたいだぞ」
と言っていた。
その話を聞いた後、自分達の試合でピンチの時に集まって
「今日、勝ったら銭湯行こうぜ」
とくだらないことを言うためだけに集まっていた。
まあ、結局負けても行っていたのだけども。

【幼少期の思い出】
母親に連れられて銭湯に行ってたのは記憶しているのは3,4歳の頃だったと思う。
少なくとも小学校にあがる前である。
今思うと、当時の私にとって銭湯とは
「見知らぬおじさん、おばさん達と出会う場」
だったのかもしれない。
1つ、今でも鮮明に覚えている話をしよう。
早熟だった私は、実年齢に比べて縦にも横にも大きかった。
そのコロコロとしていた体型と、何にでも興味を持つ性格からか
たまたまテレビでやっていた大相撲を食い入るように見ていたのだと思う。
すると見知らぬおじさんが声を掛けてきた。
「お、坊主、相撲に興味があるのか。坊主くらいの体格だったら、相撲部屋に入ったらもしかしたら相撲取りになれるかもしれねえな。相撲取りはな、儲かるぞ〜。」
その内容に対してなんて返事をしたのかは覚えてないが
一緒にいた母親が「野球やってるもんね」とかなんとか言って「うん」と答えた気がする。

【おばさま方の銭湯コミュニティ】
あれから20年以上経つが、母親は相変わらず銭湯好きだ。
もちろん家にお風呂はあるが、なにかに理由を付けて銭湯に通う。
その理由の1つに「銭湯仲間」がいることだと母親は言う。いわゆる、常連さんというやつだ。
母親の、いや、おばさま方のコミュニケーション能力の高さには時々感服してしまうことがある。
どうやったら、銭湯で見ず知らずの人々とよく顔を合わせるからと言って仲良くなれるだろうか。
それを難なくやって退けるのが、おばさま方の凄いところだ。
銭湯という垣根を超えて、一緒に出掛けたり、忘年会をする仲にもなっていると話を聞く。
ここまでくるともう、頭が上がらない。

【農業と銭湯と学びの場】
さて、私は農業を専門的に学び、農業系の仕事に就いている。
特に、農業が持つコミュニティとしての要素は最も興味関心があるものの1つである。
そして、銭湯と農業の共通点として「世代を超えたコミュニケーションが取れる」ことだと思う。
現在はもちろん、昔も農業は基本的に年配の方から教えて貰う構図であったことは間違いない。
むしろ、そうやって年配の方との付き合い方や言葉遣い、礼儀、挨拶を始めとする社会的なマナーを教わる場だったのかもしれない。
農業を教えて貰うことを目的としなくても、自分より遥かに人生を経験している方とコミュニケーションを取ることは決して無駄ではない。
しかし昨今、核家族化が進み世代を超えたコミュニケーションが取り辛くなった。
この問題を解消するのに役に立つだろう1つの手段は、農業だと私は思っている。
そして事実として、江戸の人々が銭湯で湯に入るときには、ほかの客に湯が飛び散るのを気遣って
「田舎者でござい、冷者でござい、御免なさいといひ……」と、銭湯に入るときに、
他の客に対する気遣いが式亭三馬滑稽本浮世風呂』に記されている。
江戸の人びとは、街中で暮らすマナーを銭湯で知り、学んでいた。

また、農作業は昔、地域の人々の助け合いで成り立っていた部分がある。
特に、日本人の主食であるお米の田植えの時期や、収穫時期などはその最たるものである。
「今日はOOさん宅のやつを手伝って、明日からは△△さん宅ね!」
という風に、みんなで協力することで仕事の効率化や地域の結束を強めていた。
上記の農業を通したコミュニケーションや、コミュニティの要素と
「幼少期に銭湯で声を掛けてきた見知らぬおじさん」や「おばさま方の銭湯仲間」
などの銭湯で繰り広げられるコミュニケーションや、コミュニティは親和性を感じる。

【感謝】
良くも悪くも近代化によって失われてしまった農業が持つであろうコミュニティの在り方と
オリンピックによって惜しまれつつその役目を終えることになった冨士の湯に感謝しながら
長い間みんなの身体を暖めていたお湯の暖かさを布団に染み込ませることの出来た、日曜日の夜。